第5章
総括
本研究の目的は、森林群落におけるCO2およびH2Oの移動過程の物理的・生理的メカニズムを観測をもとに明らかにし、 CO2およびH2O移動速度の環境応答特性を数値モデルを用いて定量的に評価することであった。そこで、様々な環境条件下において、森林群落での主要な移動の場のCO2およびH2Oの移動速度を測定した。さらに、環境条件から森林群落におけるCO2およびH2Oの移動速度を推定するためのモデルを、測定データによって検証しながら構築した。構築されたモデルを用いて、それらの各部分における移動過程をコントロールする生理要因の定量化と、その環境要因への応答を解析した。
第1章では、まず、既存の研究の概要と本研究における研究の方向性を示し、本研究で行われた測定および解析の方法について概説した。
第2章では、亜熱帯常緑広葉樹林におけるH20移動と流出特性についての観測と解析の結果を示した。本章では、土壌−渓流間におけるH2O移動過程を明らかにすることを目的として、中華人民共和国江西省九連山流域のシイ林を対象とし、土壌−渓流間におけるH2O移動を降水に対する流出の応答として取り扱った。降水量および流出量の観測より、対象とした森林流域における年間の水収支が明らかになった。対象森林においては、降水として大気から森林へと落下したH2Oは約50%が渓流へ流出し、残りの約50%が蒸発散によって大気中へと戻ることが分かった
また、このような降雨−流出応答の解析に広く用いられているタンクモデル型の水循環モデル(HYCYMODEL)(福嶌, 1987)を用いて、森林流域におけるH2O移動過程のシミュレーションを行った。その際、密な森林を仮定し、Priestly and Taylor(1972)の式を用いて、簡便に、月毎のポテンシャル蒸散速度を推定し、HYCYMODELへの入力とした。シミュレーションの結果、森林土壌内におけるH2Oの貯留量および成分別の流出量の時系列変化を数値化することが出来た。本対象森林における直接流出量は年変動が大きく、その年の降水量が大きく影響しているものと思われた。
さらに、本対象森林における降雨−流出応答の特性を日本国内のさまざまな地質における流域と比較し、考察を行った。 HYCYMODELを用いて行われたシミュレーションによって、積算降雨と積算直接流出の関係が算出され、風化花崗岩を基岩とする国内流域よりも小さく、古生層堆積岩を基岩とする国内流域および、火山地域の国内流域におけるものに近似していた。また、同様に、HYCYMODELを用いて行われた一定の降雨条件下におけるシミュレーションの結果、逓減曲線は、火山地域におけるものに近似し、その他の国内流域と比較して緩やかであった。これらの結果から、九連山流域において特徴となる点は、大きな貯留能を持つことであり、その結果、ピーク流出が小さく、逓減ハイドログラフが緩やかになることが示された。
第2章において用いられたモデルによって、森林における土壌−渓流間におけるH2O移動過程が表現され、森林土壌における部分毎のH2Oの貯留量および移動速度を数値化することが出来るものと考えられる。しかしながら、第2章においては、土壌−大気間および植物−大気間におけるH2O移動過程については、経験的な推定式を用いて推定したため、移動過程のメカニズムは説明されていない。森林におけるH2O移動過程をより詳細に扱うためには、これらの移動過程におけるメカニズムを明らかにし、数値化するモデルの必要性が指摘された。
第3章では、暖温帯常緑針葉樹林における樹冠上CO2およびH2O鉛直移動速度(フラックス)の測定と解析の結果を示した。本章では、森林における植物−大気間におけるCO2およびH2Oの移動過程を明らかにするために、滋賀県南部に位置する桐生水文試験地ヒノキ林を対象として、樹冠上CO2およびH2Oフラックスの測定を行い、これらフラックスの環境応答に関する解析を行った。その結果、H2Oフラックスは主に日射量の変動の影響を大きく受け、CO2フラックスは、それに加えて気温の変動、特に高温に対して敏感に反応することが示された
また、無降雨日における樹冠上CO2およびH2Oフラックスをそれぞれ純光合成速度および蒸散速度とみなして、観測結果を基に、大気−植生間のCO2およびH2O交換速度の経時変化を推定するモデルを構築した。これらの交換速度は、それぞれの物理量(CO2濃度、H2O濃度)の勾配と拡散係数の積である。モデルでは電気回路の概念を導入し、拡散係数の逆数を抵抗の形で表現する。これは、森林の物理的形状および乱流渦の大きさなどによって決まる空気力学的抵抗と植物の生理的な活動によって決まる群落抵抗に分けられる。本モデルでは、森林群落を一枚の大きな葉(仮想葉)とみなすことによって、群落抵抗を仮想葉における気孔抵抗として取り扱った。また、気孔開閉や炭酸同化過程による移動速度の変動が表現されるよう、個葉における気孔コンダクタンスモデル(Jarvis, 1976; 小杉ら, 1995)および、生化学的光合成モデル(Farquhar et al., 1980; Kosugi, 1996)を森林群落に拡張して適用し、サブモデルとして組み込んだ。モデルによって、日射量、仮想葉温度、飽差の変化が群落抵抗に与える影響を検討した。その結果、本対象森林では、仮想葉温度の変化は群落抵抗の決定に大きな影響を及ぼさないことが示された。したがって、高温度時におけるCO2フラックスの敏感な反応は、気孔開閉以外の要因によるものと推察された。
四季の代表的な気象条件を含む10回にわたって行われた樹冠上フラックスの集中観測結果を用いて、モデル中のパラメータが最適化された。これらのパラメータを用いて、通年の水文・気象観測データから年間を通した大気−植生間のCO2およびH2O移動速度の時系列変化を算出する数値実験を行った。入力とした環境条件は、日射量、純放射量、気温、水蒸気圧、風速である。その結果、大気−植生間におけるCO2およびH2O移動速度の年間を通じた経時変化が計算された。また、計算結果を用いて、森林群落における炭素固定量および蒸散量の季節変化および年間の収支を見積もった。その結果、炭素固定のピークは春期に見られ、夏期には呼吸による分解量が固定量を上回り、年間の炭素固定量はおよそ2.4 tC ha-1と計算された。また、蒸散量については、春期および夏期においてほぼ一定となり、秋期に減少し11月に最低となる季節変化が見られ、年間の蒸散量はおよそ282 mmと計算された。
第3章において構築されたモデルを用いて、植生−大気間におけるCO2およびH2Oの移動過程が表現されたと考えられる。また、本モデルを用いて、群落抵抗の環境応答特性を数値化することができ、比較的簡便に連続測定される水文・気象データより植生−大気間におけるCO2およびH2O移動速度の連続的な時系列変化を見積もることが可能となった。しかしながら、本モデルによる移動速度の見積もりについては、それを検証するための実測データが不十分と思われる。また、モデル中のパラメータの算定のためにも、より長期の連続した樹冠上フラックスデータが必要となると考えられる。さらに、本対象林は常緑性のヒノキ林であるため年間を通じて、葉面積の変動などにともなう、森林における光合成・蒸散速度の環境応答特性の変化がないものと仮定して解析を行ったが、落葉性の森林では明らかにこれらの特性は変化する。この点は第4章で検討した。
第4章では、第3章と同様に植生−大気間におけるCO2およびH2O移動過程の解明を目的として、ロシア連邦サハ共和国のシベリアタイガ・カラマツ林を対象に、樹冠上CO2およびH2Oフラックスの長期連続観測を行い、これらフラックスの環境応答特性および、その季節変化について解析を行った。樹冠上フラックスの長期測定には、三次元超音波風速温度計と、比較的メンテナンスの簡便な閉光路式の赤外線ガスアナライザーを用いた。閉光路式のガスアナライザーを用いる際に問題となるサンプル空気のチューブ通過にかかる記録の遅延時間を濃度変動と鉛直風速変動の相関関係から導き出し、渦相関法によってフラックスを算出した。その結果、1997/8/16-8/29、1998/5/15-7/23の比較的連続した樹冠上CO2およびH2Oフラックスのデータが得られた。測定されたCO2およびH2Oフラックスは、開葉の前後において大きく変化し、光合成・蒸散速度の環境応答特性が開葉によって大きく変化したものと考えられた。また、夏期から秋期への緩やかな変化も見られた。また、ほぼ年間の収支を表すと考えられる5/15〜8/29の108日間のCO2およびH2O収支は、それぞれ、-7.6 tCO2 ha-1(-2.1 tC ha-1)および153 mmと算出された。
また、第3章で用いられたモデルを適用し、モデル中の3つのパラメータ(最小群落抵抗Rcmin, クロロフィル密度r, 光量子吸収率e(1-f))に着目して、季節毎の観測値からパラメータの最適化を行い、パラメータに季節変化を算出した。これらのパラメータの変化は、開葉による葉面積(LAI)の増加、開葉後の葉の成熟および老化に対応しており、森林の光合成・蒸散特性の季節的な変化を反映している。
第3章、第4章でとりあげなかった降雨時における植生−大気間の移動については、今後の課題として残されている。降雨時および降雨直後には、第2章で述べたように、森林からの蒸発散の主要な成分の一つであると考えられる遮断蒸発によるH2O移動が起こる。本研究における観測において用いられた三次元超音波風速温度計は、測定原理上、超音波プローブに水が付着すると測定不能となる。したがって、激しい降雨中、あるいは、降雨直後のプローブが乾燥するまでの期間には、渦相関法によるフラックス観測が困難である。このため、降雨中の光合成速度および遮断蒸発速度の測定は、傾度法を用いるか、樹冠通過降雨量(地表到達降雨量)および樹幹流量の測定より間接的に測定することが考えられる。前者の傾度法は、第4章で述べたように、森林において十分な精度を得るのは困難であり、後者の間接的な測定は時間分解能が一降雨イベントの時間よりも細かくすることができない。遮断蒸発および、降雨中の光合成の詳細な環境応答を解明するために、これらの技術的な問題点の解消が必要である。
本研究においては、一貫して、森林におけるCO2およびH2O移動速度を素過程毎に測定し、モデルによる数値化を行った。それによって、森林における植物−大気間のCO2およびH2O移動および、土壌−渓流間のH2O移動過程をモデルによって表現し、移動速度の環境応答を明らかにすることが出来た。しかしながら、土壌−大気間、植生−土壌間のCO2およびH2O移動、土壌−渓流間のCO2移動過程の解明とモデル化が今後の課題として残された。このうち、土壌−大気間におけるCO2移動は、田中ら(1996)のように土壌面CO2フラックスとして測定され、土壌中における地温、水分ポテンシャル、CO2濃度の鉛直分布の測定と同時に行うことにより、移動速度の環境応答が解明されるものと考えている。今後、これら素過程毎に移動形態を明らかにし、モデルを用いて定量的に表現していくことによって、森林におけるH2OおよびCO2の移動を総合的に扱うことが出来ると考える。