Date: Mon, 16 Jun 2008 17:31:40 +0900

ネットワーク経済政策受講生の皆様、社会工学受講生の皆様 (CC: 松村先生)

名古屋大学環境学研究科の田中広樹です。
6月12日に「これからの地球学〜文理連携と境界〜」と題して講義させていただきました。
私にとっても大変に貴重で、また、大変に楽しい機会となりました。
ありがとうございました。

皆さんからの講義の感想と質問を楽しく読ませていただきました。
全てに回答をつけるのは、大変困難ですが、一部、回答させていただきます。

回答漏れの質問など、特に、お聞きになりたいものについては、
直接、メール等で質問ください。

田中広樹


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関西学院大学総合政策学部ネットワーク経済政策(2008年6月12日)
「これからの地球学〜文理連携と境界〜」
質問への回答(田中広樹、2008年6月16日)

1.「地球学」という学問分野について
初めて聞かれる学問分野について、興味を持って聞いていただけたようで、なによりです。
地球学とは、太陽・地球(大気・海洋・岩石)・生命圏という相互作用系全体の姿を認識した上で、
そこに含まれる個別の諸現象・諸過程を理解する科学であり、
また、個別の諸現象・諸過程を認識した上で、地球システム全体の姿を理解する科学です。

つまり、いわゆる「地学」において学ぶ個々の内容の関連性を考える学問とも言えます。
その関連性=相互作用=境界領域における現象の理解は、地球環境に関する学問の本質であり、
より深く「地球環境問題」を理解するということにおいて、「地球学」は必須だろうと思います。

「地球学」という考え方で、地球環境を理解するということですが、
それは、広く浅く地球を学ぶということではないはずです。
基礎となる個別分野における知識なくして、複雑な地球を理解することはできません。
一方で、全ての分野・領域の深い知識を網羅的に会得することは、ほとんど不可能です。
結局、個別分野の専門性を身につけ、かつ、地球全体(少なくとも専門の周辺領域)を
理解するための広い視野が必要となります。
専門性と広い視野の両立こそが、地球学の本質だと思います。

大前提は、個別分野の専門的知見の習得ですから、
それを学ぶものにとっては、「地学」「地球科学」と「地球学」の違いは、
実は、ニュアンスの違いだけで、学ぶ内容は変わらないかもしれません。

なお、「地球学」は、私自身のアイディアというわけではありません。
名古屋大学21世紀COEプログラム「太陽・地球・生命圏相互作用系の変動学」という
拠点形成プログラム(拠点リーダー・安成哲三教授)の皆様のアイディアです。
細分化された地球科学諸分野の現状を鑑みると、誰しも共感できるものであると思います。

「地球学」には、フィールドワーク(野外観測)も重要ですが、
もちろん、モデル研究、理論研究も重要です。
例えば、太陽活動や磁気圏に関連する事象の解明には、理論研究が非常に重要でしょうし、
観測についても、人工衛星によるリモートセンシング観測研究は欠かせないでしょう。
このように、様々な分野の研究者の協働によって、成り立つのが地球学だと思います。


2.「観測研究こそが地球学を支える」ことの説得力に関して
もちろん、一般的にあまり説得力のあるキャッチフレーズでないことは理解しています。
しかし、基礎は基礎として重要であるし、観測研究自体は否定されないはずです。
地球学を支えるひとつの分野であることは間違いありません。
それぞれの分野の研究者が、自分の分野について、自負を持っていなくてどうしますか!
各自、研究者は、自分の分野の研究が役にたつと自負をもち、
各自が、その分野の研究を深めることなくして、科学の発展はありません。
そういう意味も含めて、敢えて、「観測研究こそが地球学を支える」と主張して、
観測研究を推進したいと思っています。
当然、様々な分野の協働があって始めて、地球学がなりたつと思います。
「観測研究こそが地球学を支える」と言いだしたおかげで、
こういう議論ができるのは、まさに、思う壺というわけです。


3.現場主義観測研究と、ネットワーク課題研究の関係について、
お互いに正反対であるという理解は、概ね正しいのかもしれません。
正反対であるからこそ、それぞれを知る努力が必要だろうと思います。
今回の講義がその理解のための行動の発端(きっかけ)となることを期待します。
決して、私の講義で全て分かったつもりになっては、いけません。
興味をもたれた方は、各キーワードについて、
少なくとも、WEB上でわかることぐらいは、調べて欲しいと思います。


4.このまま温暖化が進めば、私たちの生活はどうなるか?田中広樹の見解
自然科学者としての正答:「状況に応じてそれぞれです。なんとも言えません」
自然科学は、たぶん、明確な答えを出せません。
「分からない」ということを知ることが自然科学の本質です。

このまま温暖化が進むという仮定がそのものも研究課題のひとつであるし、
「温暖化」とは何か?自体が、それぞれの解釈次第です。

地球学における最大関心事は、CO2増加後のCO2濃度レベルに対応して長期継続する状態、
すなわち、新たな地球環境の状態はどのようなものであるかということであろうと思います。
地球の歴史上、初めての経験であり、「人新世」(完新世の次の年代)が、
どのようなものであるかは、誰にも分かりません。

悲観的な想像も沢山ありますが、
もしかすると、高いCO2濃度という施肥効果、および、温暖な気候によって、
単位面積あたりの農業生産性が増して、食糧危機を乗り切るためには、
現在の気候変化が必須であったと、遠い未来から振り返られる結果になるかもしれません。


5.異文化との相互理解について
考え方に違いがあるのは、当たり前です。
学問分野にかぎらず、異なる文化・背景を持つものは、考え方がまったく異なります。
最低限、「相違があるということ」を知らないままでは、お互いに話をしても、話が通じません。
私の講義が自己紹介からはじまった理由のひとつはここにあります。
もちろん、相手のことを知る努力も必要ですが、手っ取り早いのは、
お互いに、自分の考え方や背景を相手に説明することが重要だと思います。
重要なのは、どこが違うのか? なぜ違うのか?を理解することです。
この前提があって、はじめて、相手の話を聞くことができると思います。
国際的、学際的な活動において、必要不可欠な重要な認識だと思います。


6.三峡ダムの自然への影響、災害(地震)との関連性について
その関連性については、明らかではなく、現時点では回答できません。
しかし、関連があるのか否か、興味を持つことは、大変、重要なことです。
なぜ、どうして、それらが関連すると思いますか?
関連を説明するメカニズムは、どんなものが考えられますか?
何をあきらかにすれば、その関連性、作用メカニズムが分かるでしょうか?
これらのことが、まさに、研究課題の種となるのです。


7.南水北調の影響について
南水北調の導水計画についての情報は、WEB上でも公表されています。
計画では、長江の流量の、5%程度の水量を導水するとのことです。
ただし、東線は最下流部ですし、中線でも中流部です。
西線は計画中ですが、実現の見込みは、それほど高くないとのことです。
北側の乾燥域の環境への影響、あるいは、渤海の環境への影響に比べれば、
長江本流の水量そのものへの影響は、それほど大きな影響はないのだろうと思います。


8.データを取得する意味(観測の意義)について
取得したデータは、そのデータを何かに使って、はじめて重要性が増します。
観測研究においても、単にデータを取得することだけでは研究にはなりません。
データを用いて、何がいえるか?新しい知見を得ることを目指して、観測をします。
観測したデータを何に使うか? 観測してみないと分からないことも多いけれど、
たとえば、モデル研究に対する貢献など、最低限の役割、期待される成果を設定し、
それらが認められなければ、観測のための費用が捻出できません。

データを取得する者と、データを利用する者の関係は、しばしば問題となります。
費用のかかる観測ではデータの所有権や、公開のポリシーは、常に問題となります。
観測者自身で解析できることがらは限られていますし、アイディアも限られますので、
私は、取得したデータは可能な限り公開して、誰かが新しい使い方を見つけてくれることを期待します。

科学的に新しい知見というのは、すぐに社会の役にたつことばかりではありません。
むしろ、その大半は、永久に、何の役にも立たない事柄ばかりでしょう。
大いなる無駄の上に、現在の科学はなりたっています。
数多くの無駄な研究の中に、将来の生活になくてはならない知見の種が埋まっているかもしれません。
将来、何が役に立ち、何が無駄なのか? 本来は誰にも分からないのです。
もちろん、税金を使わせてもらう以上、説明をして、納得して貰う必要があります。
ある分野の研究が日本で誰もしなくなると、将来、その分野の知見が必要になったときに、
世界の水準に追いつくのは、ほとんど不可能になります。
ある分野の研究が世界的に途絶えてしまったら、これを取り返すことはほとんど不可能です。
無駄な研究を脈々と受け継ぐのと、絶えてしまった研究を必要になってから復活させるのと、
どちらがコスト的に有利か?という経済性からも考えてもいいかもしれませんね。


9.モデル計算結果のひとり歩きについて
将来予測結果などは、新聞記事などで、センセーショナルな見出しで取り上げられたり、
あるいは、ドキュメンタリー映画の中で、ほとんど既定の事実として取り上げられたり、
すでに、ひとり歩きをはじめているといっても良いのだろうと思います。

今回の講義で私が示したモデル計算結果の例:
「21世紀末に長江流域で気温が3℃上昇、降水量が10%増加」
19個のモデルの出力の平均値です。あくまでも、モデル計算の結果です。

計算結果の通りになるかどうかは、誰にもわかりません。
どの程度、計算結果が確からしいのか?すら、誰にも分かりません。
どのパラメータがどう効いてこの計算結果になったのか?も、
モデル設計者、計算者にとっても、非常に難しい課題です。

モデル計算結果は、ある設定の上では「真実」であり、事実の一端を示しています。
目的によっては、非常に有用であり、また、唯一の手段を提供することになります。
重要なのは、あらゆる情報を鵜呑みにしないことです。
観測結果から説明される「真実」もまた、単純に鵜呑みにしてはいけません。
特に、1地点の結果から、無理やりに普遍化を試みることには、大きな危険をはらみます。


10.私の目標
私の究極の目標は、地球上のあらゆる物質のあらゆる移動現象を知ることです。
自分自身が納得できるだけの実感を伴って、モノの動きを把握したいです。
(可能であれば、それを制御したいというのが動機でしたが)
「そうか、世の中というのは、こうやって動いているんだ」と悟ることが
目標ですが、当面、達成できそうにありません。

現場主義というのは、納得のための実感を得る分かりやすいアイディアだったのですが、
現実空間であっても、仮想空間であっても、自分を納得させることは可能だろうと思っています。


11.地球環境問題に対する効果的な解決策について
「効果的な解決策はない」と思います。
あちらを立てれば、こちらが立たず。というようなことばかりだろうと想像します。
何をどこまで許容し、何を優先させて、対策をたてるか?
というのは、政治の役割そのものでしょう。
科学の役割は、客観的な事実、何をすればどうなるという見通しを示すことです。
ただし、その場合も、予測において、考慮しない事象が含まれることを明示したり
不確定性を見積ることが重要だと考えます。
科学においては、「分らないことだらけ」なのが常識です。
研究すればするほど、「分からないこと」が増えていきます。
したがって自然科学者には、解決策は打ち立てられません。
何も分かっていないことに対しては、怖くて物をいうことができないからです。


12.水田と小麦畑の蒸発量と大気加熱の違い、温暖化対策としての効果について
水田は、蒸発が多く、大気の加熱が小さいため、この面を取り上げれば、気温を下げる効果があります。
近年、都市化による都市の温暖化(ヒートアイランド現象)を押さえるため、
打ち水実験が行われ、それなりの効果があったというような報告もあります。
いずれも、局地的な現象です。

蒸発した水蒸気が、雲(液体)になる時には、熱を放出します。
したがって、結局は同じだけの熱量が大気へ伝わっているとも言えます。

地球の温暖化を考えるのに、より重要なのは、温室効果です。
温室効果ガスには、二酸化炭素だけでなく、メタンや水蒸気も含まれます。
水田は、メタンの発生源ですし、水蒸気の供給源ともいえるでしょう。

あらゆる地球環境問題には、単純な解決法はほとんどないと思います。
あれば実施され、とっくに解決しています。
例えば、フロンガス撤廃が実施され、近い将来のオゾン層の復活が見込まれています。
これが人類にとって、唯一の地球規模の環境問題に効果的な対策ができた事例のようです。


13.自然と人間
2項対立する事項であるか?自然には人間が含まれるのか?
「"境界"とは、常にあいまいである」というのが講義の趣旨のひとつでした。
本来一体として扱われる事象であっても、学問分野としては、別々に扱われる事象もあります。

「環境破壊を含む人間活動は、自然の一部であり、自然の摂理なので、環境破壊は悪ではない」
というような意見もあるのかもしれません。
何が悪くて、何が良いのか? これは、誰が決めるのでしょうね?

人間が環境破壊するのも自然の一部、その環境破壊を食い止めようと活動するのも自然の一部ですね、
我々のように学問・研究を行って、それらを理解しようとすることも自然の一部だといいんですが。


14. 中国−日本間の通信の経路について
安徽省と名古屋の間でインターネットを利用して通信すると、2004年前後には、
安徽省→上海→アメリカ東海岸→アメリカ西海岸→東京→名古屋という経路でした。
上海→アメリカ東海岸は、人工衛星経由かもしれません。
中国−日本間の日本海底の通信線がないのは、大変に意外に思いましたが、
インターネットは、アメリカを中心としたネットワークなので、仕方が無いのだと思います。

例えば、新幹線網や、航空航路網なんかも同じようなものですね。
大阪〜新潟間は、日本海側の在来線特急で行くよりも、東京経由の新幹線利用が早いですね。
日本からヤクーツクに行く場合も、もっとも早いのはモスクワ経由です。(安いのは極東経由)


15. 地球と宇宙の境界について
境界というのは、考え方によって変化する、流動的であいまいなものです。
例えば、空気の粒子が電荷を持って性質が変わる高度100〜500キロメートルというのは、
空気の電気的性質が重要な区別の指標であると考えた場合の境界です。
これ以外にも、成層圏界面(40kmぐらい、気圧でいうと1hPaぐらい)もひとつの重要な境界です。
例えば、大気大循環モデルなどの数値気候モデルが扱う大気上端はこの付近です。
また、地球磁場の到達範囲と太陽風プラズマの領域とを分ける磁気圏界面(6万キロ以上)を
境界とする考え方もあるでしょう。


16. 海外の研究者の状況について
地球を取り扱う自然科学の分野では、欧米が何歩も先を走っている現状は否定できないところでしょう。

危惧することは、欧米で得られた知見を、そのまま無批判に世界に拡張して、利用することです。
例えば、EPIC(Erosion Productivity Impact Calculator)は、アメリカの農務省が作ったモデルです。
アメリカの耕作地は、小麦・トウモロコシなどの畑ばかりで、水田はほとんどありません。
EPICを世界に拡張して利用するためには、少なくとも湿潤アジアの稲作に関する情報が必須です。
(もちろん、既に、稲作の情報は組み込み済みだと思いますが)

同様のことは、気候モデル(大気大循環モデル、GCM)の陸面過程サブモデルでも言えます。
湿潤アジア人(日本人)の発想では、水田は、真っ先に区別すべき土地利用区分なのですが、
現在のところ動いている大半のGCMの土地利用区分には、"水田"という区分がありません。
小麦もトウモロコシも大豆も綿花も水稲も陸稲も、おなじ「耕作地」という分類になったりします。
ここに湿潤アジアをリードする日本という存在の価値があるだろうと思っています。
ようやく水田を含めたGCMという日本発のモデル研究がはじまったところです。
(水田は、妥当な季節変化を設定するのが難しいのですが)


17. 統合知(consilience, あるいは、CI, collective intelligence)に関する見解
総合地球環境学研究所の目指すところとして、パンフなどに載っていますが、
「この単語は一体なんだろう?」 というのが正直な感想です。
結局のところ、いろんな分野の研究成果(知見)を、ひとつひとつ見るのではなく、
全体として、どう関連するかを考えるということかなと思います。
そうだとすれば、この単語そのものについて、あまり特別に考える必要もないように思います。


18. 水文学の役割について
水文学は、陸の水を扱う学問です。
水、特に陸上の淡水は、人間を含めた生物の活動に欠かせないものです。
このため、水資源確保の重要性から、主に、乾燥地(欧米)で発展しました。

水循環に関連する環境問題の多くは、乾燥域の渇水問題です。
水が少なければ、汚染排水が希釈されず、水質汚染の問題が発生しやすいことも、
乾燥域での水循環研究が重要視される理由のひとつでしょう。
乾燥域でのちょっとした水循環の変化は、容易に渇水・旱魃という環境問題を引き起こします。
その問題の理解と対策のためには、水循環の変化カニズムを解明する水文学が重要な役割を担います。

湿潤域における最も重大な環境問題は洪水です。
洪水に対しては、通常は、想定される最大の洪水に対応できるダムや堰堤、
遊水池などのハード面の整備と、ハザードマップ作成、予報警報と避難のシステム構築
というソフト的対策が重要となります。
降水量の変化、降雨−流出応答のメカニズム解明、洪水流出予測などの面で、
洪水対策の前提として、水循環メカニズムの理解は、重要な役割を担います。

湿潤域においては、渇水問題は発生しないし、水質汚染の問題も軽微です。
従来の環境問題研究においては、洪水対策、豪雨災害対策などに関連するものを除けば、
湿潤域の水循環に関する研究は重要視されてきませんでした。
アジア湿潤域では、「水」は、あまりにも多すぎて当たり前に存在する資源なので、
水資源確保のための重要性は低かったのです。

湿潤域では、水循環のフローの絶対量が大きいため、ここでの水循環の変化は、
領域における変化率としては小さい変化であっても、周辺領域・地球全体に対して、
少なからぬ影響を与え得ると考えられます。
特に、湿潤域に隣接する乾燥域の水循環に対しては、
乾燥域の渇水問題を考える上で無視できない影響があると考えられます。
この場合、河川および土壌中の水の動きだけでなく、
蒸発を始点とする、大気中の水の動きを理解することがより重要となります。

真の環境問題解決のためには、対象となる領域(流域)だけを見るのではなく、
周辺領域および地球気候システム全体についての理解が必要不可欠なのです。
特に、水循環フローの絶対量の大きな湿潤域の水循環に関する理解は欠かせません。 

----以上


2008-Jun-16(Mon) 17:02JST

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Hiroki TANAKA, Dr.
Designated Associate Professor
Graduate School of Environmental Studies
Nagoya University, Nagoya 464-8601, JAPAN
Phone/fax +81-52-789-3439  <----------------- Changed!
E-mail hiroki@hyarc.nagoya-u.ac.jp
URL http://spring.hyarc.nagoya-u.ac.jp/